昭和42年06月29日 夜の御理解
今日最後の診察を受ける為に、今日も又あの、高芝さんそしてから富永さん、それから高橋さんと三人来て下さいました。それで丁度、朝から3時頃まででしたか、今日はもうこの、眼底検査で御座いました。目を検査する。糖尿病から来る、その目が怖いと言う訳ですね。ところがあの、始めはあの5、6人のお医者さん方が、診て下さいましたけれども、皆あの、綺麗だと言うて下さいましたから、まあ糖尿病のそれは無い事になりました事でございますが。
今日私はおちらへ行っとってからまあ色々、感じた事で御座いますけれども、とにかく朝の9時、もうあそこが、まああの開店て開院と言うんでしょうか。もう戸が開かれると同時に、皆さん伸しかけといて行く訳ですね。そして、その矢張り昼頃、昼までですから、昼までには終わってしまう訳なんですけれどもね。ほんとにやっぱりおかげを受けなければならんと言う人。
どうでも一つ、あの病院の先生に診て貰わんならん。どうでも薬貰わんならん。どうでも治療して貰わんならんと言う人は、もう時間なんか問題じゃないようですね。やっぱりその時間を待っております。私はそういう意味合いで、家の朝の御祈念の事を思いました。朝の御祈念などは私、もう皆様ご承知の様に、5時に御神前に出ますから、それからどんなに、まあ大体もう何時も6時15分で御座いますね。
御祈念が終わりますのが。それに30分ぐらい御理解がありますから、6時45分ぐらいになりますでしょうか。ね。是は、私の知っとる限りの教会ではですね、朝は簡単です御祈念は。何故かと言うと、女の人達はご飯の用意をせんならん。子供達学校にやらんならん。勤め人の人もある。だからもう簡単に拝んで簡単に一口御理解頂いて帰る。ですからまあ、まあ5時に御祈念が始まるとするなら、もう40分ぐらいで大体終わる、と言うのが普通の様ですね。
ところがここは反対です。けれども私の考えが間違ってないなと、今日思いました。朝お参りをして来る人達はですね、どうでもほんとに信心を頂きたいという人と、どうでもおかげを頂きたいという人達なんです。大体区分して。必ずしも朝参りの人達が、良い信心と言う訳じゃありません。どうでもと言うて切実に、おかげを受けなければならんから朝参りでもして、という人もあります。大体。けれども、矢張りほんとに信心を頂きたい。ほんとに信心の徳を身に受けたい。
信心辛抱の徳を身に受けて行こう、と言う様な願いの人達が多いですから、矢張り成程、時間の経つのが、そのあれでしょうけれども、勿体無い気もするけれども、それよりも、結局信心の時間の方が大事だと思っておる人達が多い様に思います。夜の御祈念なんか私、もう朝の御祈念が神様本位ならば、夜の御祈念は参拝者本位と言った様な気分が御座います。と言う事はまあ、私本位と云う事にもなります。ね。
今晩の様に、私の、自分の用でこんなに遅くなしとりますとじゃ、もう天津祝詞、天地書附と言う位に、簡単に済ませるんですけれど、ね、けれども矢張りあの、参拝の皆さんもですね、矢張りそうじゃなかろうかとこう思うです。だから、それもやっぱ区分すればです、ほんとに一日のおかげを頂かして貰うて、その神恩報謝の思いが、その思いがお礼参拝でもさして貰わなければおられない、というのがそれであり。ですからあの、切実な願いという人達は夜の御祈念には少ない様ですね。
ほんとに、いわゆる神恩報謝の「ほんとに今日も一日おかげを頂かして頂きました」と、こうお礼参拝すると言う人達が、大体殆どの様ですね。そすとまあ近所から参って来るまあ、分からんなりにも珍しゅうて参って来る、という人達も中には御座います。昼の方達は又別ですね。性格が非常に違います。もう本当に合楽にある信心をですね、本当に頂きたいという人達とですね。そすと、まあ思い出しけえ出し、「教会いっちょお参りしようか」という程度の人達、と二分出来ると思うんです。
もう久しゅご無礼しとるけんで、今日だん久留米に行ったついでにお参りしようか、と言った様な、まあ言うなら部類の人達とですね。それこそ、もう遠い近いを言わない。時間なんか問題にしない。ただ一生懸命で、例えば、ここの信心を頂きたい体得したい、と言った様な人達に区分する事が出来るが、さあ果たしてです、お互いの信心がどの部類に入るだろうかと。そしてですね、矢張り本当に私は、いわゆる神様が求め給う所の信心に少しずつでも、接近して行けれる信心を願わなければならんと思うですね。
どうぞ。